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一体なんのために? 過去の文書を“偽造”し続けた「椿井文書」の謎

円城塔が『椿井文書』(馬部隆弘 著)を読む

2020/04/27
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『椿井文書 日本最大級の偽文書』(馬部隆弘 著)中公新書

 ここに、歴史を様々書き換え続けた人物がおり、名を椿井政隆(つばいまさたか)という。江戸時代の後期に生き、過去の文書をひたすら偽造した。

 文字だけではなく、絵も描いた。ついては大量の絵図までつくった。

 一枚や二枚という話ではなく、その全貌はいまだに把握できないほどに大きいらしい。活動範囲は滋賀から大阪にまで及ぶ。

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 まるで荒唐無稽なことを書くのではなく、既存の記録になにかを足して、一見もっともらしい見かけを整えるということをする。ただしその際、歴史家が子細に確認すれば明らかにおかしいというところをつくっておく。もしもの場合、あれはたわむれにつくったのだと弁解するための工夫らしい。

 改竄は、売れ線を狙ったようだ。狭くは、どこどこの山の帰属はどちらの村かという争いを左右するような文書を偽造した。需要もどうもあったらしい。ただしそれだけではなくて、歴史がこうであったならば面白い、と考えたらしきものも多い。受けを狙い、そういうこともあるだろうと人々が信じそうなあたりを積極的に狙っていった。

 場当たり的につくるのではなく、偽文書の間に一貫性のあるように工夫した。地理的に離れた場所で同じ内容の文書がみつかったなら、それだけで信憑性は増す。人の機微に通じているということかもしれない。

 著者はこの偽文書群を歴史の専門家として追跡していく。通常、専門家は明らかに偽物である資料を扱わない。単純に時間の無駄であるからだ。

 その結果明らかになってくるのは、この椿井文書の広がりであり、今も続くその影響力である。

 たとえばここに、町おこしを試みる地域があるとする。目の前には、明らかに偽物なのだが、そういうことがあったならば面白いという内容の記された文書がある。

 歴史的な経緯はともかく、そうした文書が存在すること自体は確かではないかと誰かが言いだし、人々の夢を壊すのか、と問いかける者がでてくる。

 フィクションと嘘は異なるものだ。フィクションは確かに嘘だが、嘘であることを明示している。本物の顔をして広がる嘘はフィクションではなく、デマ、流言の類であり、まずなによりも嘘である。嘘で町おこしをしたいなら、嘘なのだがと明言すればよいだけだ。

 椿井政隆というこの人物のまわりにはどうも同好の士がいたらしい。いわば組織的に偽文書を作り続けた。さすがにその収益で暮らせるわけはなさそうだから、これはもう完全に趣味の領域といえそうである。

 その才能を善用せよ、という気持ちになるが、そのふりきれなさや、気の小ささ、愚直さにはやや心を打つところがある。

 おそらく世には今もなお、よりたちの悪く、頭の回る偽文書制作者が複数存在しているのだろう。

ばべたかひろ/1976年、兵庫県生まれ。大阪大谷大学文学部准教授。専門は日本中世史、近世史。枚方市、長岡京市の教育委員会で自治体史の調査、研究の経験がある。著書に『戦国期細川権力の研究』『由緒・偽文書と地域社会』などがある。
 

えんじょうとう/1972年、北海道生まれ。作家。著書に『読書で離婚を考えた。』(共著)『文字渦』『プロローグ』など。

椿井文書―日本最大級の偽文書 (中公新書 (2584))

馬部 隆弘

中央公論新社

2020年3月17日 発売

一体なんのために? 過去の文書を“偽造”し続けた「椿井文書」の謎

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