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67歳の母が突然「腎臓あげるわよ。1個なくなったって平気!」と…末期腎不全になった記者が、母親からの臓器移植を受けたワケ

『母からもらった腎臓 生体臓器移植を経験した記者が見たこと、考えたこと』より #2

2024/05/04
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 日本では、約1300万人が慢性腎臓病に苦しんでいると言われている。毎日新聞記者の倉岡一樹氏も、慢性腎臓病を発症した1人だ。末期腎不全を患った彼は、2019年夏に母親からの生体腎移植を受けた。闘病生活は、死の淵をも垣間見るほど壮絶だったという――。

 ここでは、倉岡氏が闘病の日々を綴った『母からもらった腎臓 生体臓器移植を経験した記者が見たこと、考えたこと』(毎日新聞出版)より一部を抜粋。なぜ彼は、母親からの生体腎移植を受けることになったのだろうか?(全2回の2回目/1回目より続く

写真はイメージです ©アフロ

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体中をひっかき、背中や腕などがミミズ腫れで真っ赤に

 私のマイカーでの指定席は助手席だ。

 2018年11月22日、この日も妻にハンドルを委ねて30分ほど走っただろうか。小高い丘に、白く大きな建物が見えた。聖マリアンナ医科大学病院だ。紹介状を手に、症例数が例年15件ほどの腎移植外来に向かった。

 車を降りると、全身のかゆみが猛烈に襲ってきた。腎機能が15%を切ると「末期腎不全」と呼ばれ、人によっては強いかゆみが出現する。ひとしきり体中をひっかき、背中や腕などあちらこちらがミミズ腫れで真っ赤になった。妻は「しんどいね」と目を潤ませる。毎日のように家でその姿を見る妻と娘のつらさを思い、やりきれなくなった。私は病院正面玄関のマリア像に祈る。「これ以上、心配をかけませんように」

 腎泌尿器外科で受け付けを済ませると、看護師の服ではない若い女性が歩み寄ってきた。移植コーディネーターだった。丁寧に腎移植の説明をしてくれた後、こう聞かれた。

「倉岡さんは、生体腎移植と献腎移植、どちらを選ばれるおつもりですか」

 横にいる妻の機先を制するように答えた。

「献腎移植です。血液透析をしながら待ちます」

 コーディネーターはうなずく。妻からは絶対にもらわない、という意思は固まっていた。「倉岡さん」。名前を呼ばれた。「無理しないでね」。妻の言葉を背に1人で診察室に入ると、女性医師が座り、後ろに男性医師が立っていた。腎臓内科医の寺下真帆医師と主任教授だ。共に表情も口調も柔らかいが、話の内容は厳しかった。