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「生きるのが面倒くさい」「イザという時逃げ出す」ベートーヴェン、森鴎外、井上靖…誰もが知る成功者たちにある“回避性傾向”

source : 提携メディア

genre : ライフ, 社会, 歴史

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「私は何もかも面倒臭くなっていた」

成績もふるわず、次第に学業も投げやりになっていく。ことにその傾向が顕著になったのは、大学に入ってからである。

九州大学の法文学部に籍を置いたものの、東京で暮らし、ほとんど大学に行ったこともないというありさまだった。二年後、京大の哲学科が定員割れしているというので、そちらに移り、京都に住み始めたが、「東京時代のなまけぐせがついていたので、二、三回大学の門をくぐっただけで、あとは食堂へ行く以外、ほとんど大学へは寄りつかなかった」(『青春放浪』)という。

井上は、卒論を書くのを一年延ばしにして、とうとう二十代も終わりの年齢になっていた。「私は何もかも面倒臭くなっていたので、卒業は取りやめるつもりでいた」(同書)が、妻が電報で卒論の締め切り日を知らせてきて、今年は是非とも卒業してほしいと泣きつかれて、卒論を書き上げたのだった。

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大作曲家の愛の受難

『運命』や合唱で親しまれる『第九』などの交響曲や『悲愴』『熱情』などのピアノソナタの傑作を生んだルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェンほど愛されることを願い、愛されることに不器用だった人も珍しいだろう。その果てしないギャップが、彼の運命をいっそう苦悩に満ちたものにすることで、数々の名作をもたらすことにもなった。

ベートーヴェンは、飲んだくれでうだつの上がらないテノール歌手の父親から、虐待同然に楽器を習わされ、父親の生活費を稼ぐ道具にされた。十六歳のとき、母親が亡くなると、一家の収入は、まだ少年のベートーヴェンの双肩にのしかかった。次第に才能を認められ、喝采を浴びるものの、聴覚障害という試練が、彼の人生をさらに苦悩に満ちたものとする。

彼は自分の教え子となった女性や貴族の女性に愛情を捧げたが、その愛が実ることはなかった。彼の理想が高く、身分も教養も高い女性ばかり愛したためだと言えばそれまでだが、深層心理の面では、手に入らない相手だからこそ、安心して愛せたのかもしれない。